4月終わりに父が永眠し、葬儀を執りおこなってきました。
親不孝なことですが、父とはわたしが家を出た昨年からまったく顔を合わせておりませんでした。
3月終わりに母の三回忌のときもわたしは個別でお墓参りして、そのまま大阪に戻りました。
母とは違い、まあ合わなかった。最後までわかり合おうという気もなかった。
ただただ迷惑を掛けてしまったこともあり、申し訳ない気持ちは捨てられないが、それはそれで、それ以上の感情もなかった。
ただ、
部屋でひとりで倒れてしまい発見までに少し時間が掛かったしまったことは、わたしが家に居れば防げたことなのかと心の片隅に引っかかるかもしれません。
親戚からも遠回しに言われましたし。
そもそも大阪に転勤していたので、どうしようもなく、発見した弟にだけは申し訳ないと心底思う。
義理の妹からの電話で、出る前から、そうかと覚悟して受話ボタンを押したが、向こうはそれどころではなく、混乱していたが、ひとつの事実だけはまず理解した。
たんたんと職場に報告し、実家に戻ることにした。
一度家に帰るかと悩んだが、不審死であったことから警察の取り調べなど色々あるからだろうし、葬儀までに時間が掛かってしまう。
なんとなくだが、母が亡くなったときからだろうか。
父の最後も弟が見るのではないかと漠然と思っていた。
正確には、看取った訳ではないが、はからずも思っていた形となった。
ひとりで気丈に対応するだろうけど、ひとりよりはふたりである方がいいだろう。
そのまま新大阪駅まで向かい新幹線に乗った。
どんなに慌てても東京まで2時間半。千葉の実家まで1時間以上は掛かる。
義理の妹から状況報告などくるが、ぼくが到着するまでには一通りできることは終わっているだろう。
今後のことを考えていたら、一睡もせず東京に到着していた。
家の状況を見ると、どうような最後であったのかというのは想像に難くない。
一番驚いているのは本人で、そのまま起きることがないとは思ってもいなかっただろう。
病院で亡くなる。ということとは違い、すべきことも色々とあった。
お葬式をあげたくても、遺体は警察なのだからどうしようもなく。
ただいたずらに時間が過ぎていく。
実際には警察から遺体が帰ってきたのは、次のそれも早い時間だった。
すぐ取りに来い。というのは、病院で亡くなったときと同様面食らったことは否めない。
葬儀は母と同じところにお願いし、できるところはケチることにした。
母の遺言だったので。
それでもある程度は掛かるので、その辺も色々と大変だった。
なかなか経験することではないし、今後経験することもないが、ひとまず式を終えることができてよかった。
肩の荷が下りない。そうは問屋が卸さない。
遺族としてはここからが本番。
葬儀が金曜日で、ゴールデンウィーク突入ということで動ける日が少ない。
少ないというには事実だが、結局のところ実際に動けるのは除籍が完了して、謄本が作成される状態になってからでしか手続きは進められない。
うちの家族全員同様なのだが、千葉の住所に戸籍はない。
以前の実家の住所がある渋谷区に全員あるのだ。
兄弟ともども、結婚したのに渋谷区から動かしてなかったという。
今回色々調べて思うのは戸籍というシステムの不備というか不便なところ。
なんでこんなのあるんだと最後の最後に思った。
国のシステムは横連携しないのが常識。と言わんばかりなことだらけ。
と、思っていたら自動的に連絡来るという年金支払いの話。
すぐ年金は止めないとダメだよと式に来てくれた従兄弟に教えてもらっていたので、市役所で除籍手続きなどを対応してもらい年金機構に行ったら、支払い停止は自動で止まると。
支払われてしまったら、返還の手続きがまた面倒でということであったんですが、その辺はなにごともなくよかった。
むしろ最後の支給はされるから手続きしなさいと教えて頂けた。
銀行や保険さらに家は除籍謄本が作成されてから本格的に手続きになる。
ダメ元で渋谷区役所まで行ってきたが、まだ千葉市役所からは手続きされてなかった。
兄弟分の謄本は必要であったので、そこは問題ないのだが。
これから、必要な書類が色々違ったりして振り回されることになるのだが、まず現時点で揃えられるものは揃えた。
疲れました。
まだ1週間と少ししか経ってないですが、えらい前のことのようだし、むしろなにかあったのか、ゴールデンウィークが半分になったとかいまいち現実感がありません。
いろいろなことに詳しくなった。
詳しくなったが、今後使うこともない…
それにしても、母が亡くなって2年で父が亡くなるとは想像していなかったことはないが、ただたんに早かった。
この早かったと言う感想を一番強く思っているのは、母ご本人ではないだろうか。
飾ってある遺影が、なんかうらめしく見えたのは気のせいではあるまい。
「もっとゆっくりひとりを満喫したかった」
ですよね…
そんなこと言わず今度は仲良く過ごして下さい。
息子どもからのお願いです。